学童保育の申し込みに在職証明書が必要とのことで、デイケアの後、証明書の発行申請のため会社にいった。不意にエレベーターで社長と出くわした。「久しぶりだね。」「ご無沙汰しております。」と言葉を交わした。社長はエレベーターで下階に降りていった。総務に発行の申請して会社を後にした。なんだか、よそよそしくされたような気がして寂しくなった。気を使われたのかな。気にしない方がいいか。リワークに通っているのはここに戻るためなのだから。
今日は診察日。主治医から模擬職場や生活習慣のことを確認された。お薬はラミクタールのまま。進展ないなーなんて思ったけれど、リワーク行きたくなかったときと比べたら、まー進展あったんじゃないの。ゆっくりになっただけ。
そして認知行動療法の講義。コラム表のレッスン。やっぱり表を埋めるのは難しい!
三連休、母の13回忌法要が遠方でとり行われるため早朝出発、深夜帰宅という無茶な日帰り移動をしてしまった。1泊はさめばよかった。
月曜日、疲れを抱えながらリワークへ。計画通りに仕事を終わらすことが出来なかった。今日から昨日の穴埋めをすべくスケジュールを見直し。体調悪くても休まなかった事はよかった。今日の自分は昨日と違う自分。きっと大丈夫。前向き。前向き。
母の13回忌法要のため帰省した。読経のあと住職が「先祖」と「私」について話しをしてくれた。住職の寺は800年の歴史があり、永く集落の菩提寺となっている。話しの前に住職から先祖代々の位牌に手を合わせるときに何代前のご先祖さまを意識してますか、そのような問いがあった。祖父祖母の両親つまり3代前、あるいは4代前くらい意識しているかなと思った。住職は4代前であれば30人の「先祖」の生によって「私」が存在していて、それは誰しも共通することだと、言い方は忘れたが、そのようなことを説いた。帰りの飛行機で、他人は他人であって自分とは違うけれども、共通する客観的事実があるんだな、なんて考えていた。他人のことを受け入れてもそんなに悪いことは起きないかも知れない。
もうすぐ母の命日。明日十三回忌が営まれる。母は献身的な人だった。赤の他人を心配をしたり金銭面の援助をしたり。困っている人に手を差し伸べたいという気持ちが強い人だった。援助しても見返りはなかった。それでも明るく振舞っていた。ドイツのある格言をよく口にしていた。「笑って暮らすも一生、泣いて暮らすも一生」。社会人になって自分も困っている人に手を差し伸べるようになった。しかし、いつしか笑って暮らせなくようになった。母が伝えたかったことを誤解していた。誰かに親切にするのはいいこと。でも見返りがなかったからといって悲しまない。親切にできたことを喜ぶ。そして笑って暮らす。そんな生き方を望んでいたのだ。